2018年12月30日日曜日

音楽作品と作曲者の意図について

「音楽作品と作曲者の意図について」という論文を書きました。プレスク・リヤン協会のブログに掲載されましたので、御高覧・御高評頂ければ幸いです。
http://association-presquerien.hatenablog.com/entry/2018/12/30/170638

2018年12月3日月曜日

長楽寺に行く

昨日は朧谷先生企画、下坂先生引率の京都市内遠足。長楽寺にも行った。
ここには頼山陽の墓がある。

そして境内には様々な石碑があって、気になったのが以下のもの。まず、浦上春琴(玉堂の息子)の碑。


そして、米芾の書の伝統を受け継ぐという武元登登庵の碑「有往皆収無垂不縮」。


2018年10月31日水曜日

見田宗介『現代社会はどこに向かうか ー 高原の見晴らしを切り開くこと』

 見田宗介『現代社会はどこに向かうか ー 高原の見晴らしを切り開くこと』を読んだ。学生時代からずっと見田先生の本は読んで来て、影響を受けて来たが、最近はどうもしっくりこない感じがする。それは何かを考えて見た。
 現代の情報化・消費化社会の変容について、それを脱高度成長期と捉えて、「高原」と名付けるところまではいい。その通りだと思う。この「高原」では、もうこれ以上の経済成長は望めないので、現在を楽しむ風潮が広まり、それほどのお金やモノはないけれども幸福という人々が増えている、という。この「永続する幸福の世界」(オビの言葉)がこれからの世界を支配するのだと。もちろん見田宗介は、未だにそのような段階に達していない国や文化の地域では、まだまだ生活の質を向上させ、最低限人間的な生活を送れるようにするという基本的な必要があるということは認めている。
 しかし、……しかし、である。それでも、少なくともこの日本社会においては、見田の語るオプティミスティックな現代社会観にはある種の居心地の悪さがあるような気がする。本当に現代日本社会の人々は現在の生活に満足し、「いま」を享受しているのだろうか。
 例えば、見田はそのような人々の意識を論じるに際して、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査の結果をもとにしている。そこでは「理想の家庭像」として「近代家父長制家族」という理想が崩れ、「夫婦自立」や「家庭内協力」のパーセンテージが増えたことが述べられる。女性は結婚して子どもが生まれても、職業を持ち続けた方がよいとされる。これを単に女性の権利が増大し、男女が平等になってきたからだとだけ言えるのだろうか。一見そうは見えるが、実は現代社会は夫婦で働かなければ生きていけないほど厳しい世の中になったのだ、とも言えないだろうか。
 あるいは高度経済成長期には未来のために現在を犠牲にする「生産主義的、未来主義的、手段主義的な合理化」が支配していたが、現代社会はそのような「近代」の理念が崩壊し、未来よりも現在を充実させ楽しむ生き方が増えてきたとされるけれども、実際には未来が安心して生きていけるような気がしないので、「仕方がないので」現在に喜びを「無理にでも」見出そうとしている、ということはないだろうか。例えば、定年退職後の年金などはどうもきちんと貰えそうもなく、これからの日本社会もますます国家による規制が厳しくなってきそうだ、という予想が支配的な時に、未来に人生を賭けることは無謀ではないだろうか。
 その他、魔術や占い、非合理的なものへの関心が高まっていることについても、見田は「近代合理主義的な世界像の絶対性のゆらぎと、その「外部」への予感にみちた、手さぐりの試行錯誤」と美しい言葉で語っているが、要するに余りに行き詰まる現代社会、明るい未来もなく、自由な行動も徐々に規制されて行くような息苦しさから、何とかして逃れようと非合理的な世界へ逃避しているだけなのではないだろうか。
 私が余りに悲観的なのか、見田が余りに楽観的なのか、どちらなのだろうか。

2018年10月16日火曜日

モンポウの新発見作品(?)

大学のホームページに「モンポウの新発見作品」について書きました。以下から御覧ください。
http://www.dwc.doshisha.ac.jp/faculty_column/liberalarts/2018/post-298.html




2018年6月10日日曜日

海老坂武『戦争文化と愛国心』

海老坂武『戦争文化と愛国心 —非戦を考える』(みすず書房)を読みました。そして以下のような感想文を書きました。

 私はさまざまな雑多な本を読んでいる。もちろん専門とする音楽学の本が一番多いのだが、哲学、民俗学、歴史学、社会学、文学研究、小説、詩、その他……。それぞれに感銘を受ける本があるが、この『戦争文化と愛国心』から受けた感銘はそれらのものとはまったくちがった種類のものだ。それは今現在私が生きているこの現実、この社会に直接にかかわっている。私自身と私を取り巻く周囲の現実との、現在形でのかかわりに関係する。さらには私自身が生きている中でかかわっている人々とも関係する。そして、この「感銘」は私にそのような中でどのような態度をとるべきか、ということについても関係するのだ。より現実的であるという意味で、より強烈である。
 まず海老坂は自分の戦争中の体験から「戦争文化」について検討する。そこで語られている実体験の中で強く印象に残ったものをここに引用する。「学校の近くに『朝鮮人部落』があった。私のクラスにも二、三人ここから通ってきている生徒がいたのだが、そのうちの一人がどんなきっかけだったか、教室で『天皇のバカ』と口ばしったのである。この時代、こうした非国民的な言葉を先生が許すわけがない。担任の先生は、彼を前に引っ張り出して往復ビンタを食らわせた。しかし少年はこれにめげることなくもう一度同じ言葉を叫んで、もう一度なぐられ、よろめきはしたが倒れなかった。日頃はむしろとろんとした生徒に見えたが、このときだけは眼をらんらんと輝かせて、謝るどころか一歩も引かない姿勢を示したのだ」(234頁)。
 その後、海老坂は愛国的な歌や軍歌の替え歌によって、国民がもとの歌詞の意味を換骨奪胎して、真逆の反戦歌にしてしまった例をあげるのも非常に興味深かった。そして戦争文化についてのいくつかの理論が検討され、『きけわだつみのこえ』が取り上げられる。
 そして戦後。占領軍があまりに従順な日本人にあっけにとられた、というのは聞いていたが、その理由が、戦争中にはむしろ日本軍が日本を占領していたので、戦後の米軍による占領はより優しかった、という司馬遼太郎の言葉(1323頁)にはなるほどと思った。また日本人の適応力の強さが、戦争文化の枠組みをそのままに、戦後のさまざまな変化を受け入れたというの(1202頁)も納得である。
 第四章「愛国心の行方」では、清水幾太郎、丸山眞男、姜尚中、佐伯啓思、テッサ・モーリス・スズキの論が検討される。とても勉強になった。「愛国心」と「国民主義」、「パトリオティズム」と「ナショナリズム」の区別というのが重要であるというのもわかった。これを「愛と憎しみ」との関係でわかりやすく説明してくれた(西欧世界での一般論として)のも明快である。「パトリオティズムとは人間仲間を愛すること、ナショナリズムとは他国の人間を憎むことだ」(175頁)。
 第五章「非戦思想の源流」では、内村鑑三、幸徳秋水の二人が検討される。内村は「無抵抗主義」「絶対的非戦」を主張して、しかしそれが国家のレヴェルで可能かどうかについて逡巡している。しかしそれについて海老坂の筆は辛辣に現代日本批判を行う。「あの時代、内村の頭に可能性としても『無抵抗主義の日本』は存在しなかったのだが、戦後の日本、新憲法の日本とはまさしく内村が夢見た無抵抗国家、絶対的非戦を原理とする国家ではないか。そして、戦後七十数年とは、この原理をめぐっての戦い、というか、この原理がなし崩し的に無化されていく過程であった。非戦の原理がいつしか個別の自衛の原理に、さらには集団的自衛の原理に読み替えられていった」(186頁)。幸徳秋水は「愛国心そのものを切って捨てた」(194頁)。彼はよりラディカルである。その強烈さは以下のように発揮される。「兵卒の生命などは無視して戦争を説く戦争論者、さらに自分の昇進や勲章のために兵卒を戦争に駆り立てる将校は『犬をケシかける人』で、こういう連中のために犬死するのはまっぴらご免、将校だけで満州に行って望みどおり屍をさらしたらどうだ、と皮肉をこめる。そして問題は『金ある者は教育を受け教育を受くる者は兵役を免る』社会組織と徴兵法にあるとして、貧乏人のみが兵隊に駆り出される不平等を痛烈に批判している」(202頁)。
 第六章「兵役拒否と不服従の思想の源流」では、矢部喜好、村本一生、明石真人、アラン、ジャン・ジオノが検討される。いずれもまったく知らなかったので、とても勉強になった。日本人たちはすべてキリスト教(宗派はどうあれ)信者である。「兵役を拒否したのはすべて聖書を根拠にする人たち、別の言い方をすれば超越的原理を根拠にした人たち」(222頁)であった。そして、フランス人たちはどちらもその非戦主義によって周りから孤立し、逮捕までされながら、個人的な信条を貫いた。ジオノは言う「一人で歩け、君の明かりで足りるとせよ」(234頁)。この違いは、どこから来るのか。アランにおける非戦思想の根拠を海老坂は七つにまとめてくれている。「一、戦争の原因は憎悪の集団化である」、「二、人々がこのように憎悪に熱狂的になるのは団結して行動する喜びがあるからだ」、「三、軍隊教育がこのようなメンタリティーを生み出す」、「四、兵士の情念は一種の『条件反射』的メカニックな動きである」、「五、兵士たちには同時に『名誉』の感情があり、愛国は武器となる」、「六、軍隊組織には二種の人間がいる、戦いに駆り立てる将校とそこに押しやられる兵士である」、「七、国家、一般世論、報道機関への警戒感」(2257頁)。
 最後の第七章は「非戦の原理から不服従の思想へ」。ここでも知らないことばかりで、久野収、鶴見俊輔、大熊信行、鶴見良行、小田実らの論を学んだのである。しかし、かつて私は鶴見良行の東南アジアフィールドワークに基づく著書が好きで何冊か読んだことがあったので、彼がこのような思想の持ち主であったことは知らなかったが、東南アジア諸国に対する彼の眼差しにそれと同じ方向性が感じられていたのも確かであった。
 終章は「少数の力のために」と題され、海老坂の「怒り」が吐露される。その怒りに私も全面的に賛成である。「この怒りがこの仕事を続けさせてきた」と彼は言う。それは安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」というまやかしの言葉への怒りが端緒である。一人の大学人として私はその後の彼の言葉に共感する。「この国がアメリカに全面的に寄り添って、米日による軍事演習が繰り返され、分業化された戦争に乗り出そうとしているという危機感、さらにまた大学、研究所への資金投与をとおして軍事研究、原子力研究が産官学の協力体制によって強められているという危機感を分かち合いたい、こういう軍事化社会に対して何をなしうるかを読者と一緒に考えてみたい」(302頁)。こうして海老坂は「一人の個人にできることは何か」を考える。それは四つある。「一、軍事化社会に対する異議申し立てをしている人々についての情報を共有すること、できれば応援し、またできれば参加すること」、「二、日頃から異議申し立てをする『不合意個人』を自分のうちに養っておくこと」、「三、権力の発する言葉の誤用、言葉の詐術を暴くこと」、「四、良心的拒否、不服従の思想をどう生きるかについて考えること」。
 ここで私は考え込んでしまう。自分はこれらすべてを実践できるだろうか。「一」については「情報を共有すること」「応援する」まではできそうだが、「参加する」となるとどうか。「二」と「三」はできると思うし、今現在もつねに行なっているつもりだ。「四」については海老坂も「思想を実践すること」とは言っていない。「実践」は相当難しい。それについて「考えること」ならばできそうだ。つまり、これは冒頭に述べたことと関係するのだが、私自身がたとえば今現在所属している社会的集団、仕事の仲間たち、家族親戚、友人たち、近所の人たち、そのような集団からただ一人孤立して自分の「正しいと思ったこと」を貫くことができるだろうか、と考えてしまうのだ。アランやジオノのようになれるか。日本の矢部、村本、明石たちには、キリスト教集団(たとえ原理上のものであっても)があった。アランやジオノにはそれがない。幸徳秋水はどうだったのだろう。たとえば、特別警察に逮捕されて拷問を受けてまで自分の考えを貫徹できるだろうか。私自身はたぶん、できないと思う。「特定秘密保護法」が戦前の「治安維持法」の復活である以上、私たちにはその危険がつねについてまわるようになっている。しかし……、しかし、それでは唯々諾々と「右傾化」する現状に流されるままでいいのだろうか。
 それともう一つ、私自身の個人的体験としての「生きている」ということ、「生の実感」と国家や社会とのかかわりがどのようにつなげられるか、という問題も考えてしまう。私がそばにある動植物たちと交流していること、周囲の人たちと「今ここで」という非常に直接的なかたちで交流していること、あらゆる森羅万象と具体的につながっていること、この事実と「非常に抽象的な国家社会」とがどのようにかかわるのか。素晴らしい音楽に没入しているときに、国家社会はどこにあるか。
 ますますエビサカ先生に教えていただきたいことばかりが増えてくるのである。

2018年2月25日日曜日

ゆみさんのフォーレ

 ひとまず秋学期の試験もおわり、成績も提出し、ひところの怒涛の会議攻勢も一段落したので、以前よりは自分の時間がもてるようになった。そこで奈良ゆみさんの歌ったフォーレを聴くことにした。

フォーレ『イヴの歌・閉ざされた庭・幻影・幻想の水平線』奈良ゆみ(ソプラノ)、モニック・ブーヴェ(ピアノ)、コジマ録音(ALM RECORDS ALCD-7207

ガブリエル・フォーレ(18451924)晩年の4つの曲集である。それぞれ作品番号でいえば、95106113そして118である。順番に1910年、1914年、1919年、そして1921年の作品。フォーレ65歳から76歳までのあいだに書かれたことになる。
 私はピアノの方が親しいので、同時期の作品はどんなものがあったかをみてみると、この時期は《前奏曲集》作品1031910年)、嬰へ短調の《夜想曲》11番作品104の1、イ短調の《舟歌》10番作品104の2(1913年)などではじまって、1916年に《第2ヴァイオリンソナタ》作品108、あとは大規模な曲として1919年から1921年にかけて書かれた《第2五重奏》作品115、《第2チェロソナタ》作品1171921年)、そしておわりの方に例の《ピアノトリオ》作品1201923年)と最後の作品である《弦楽四重奏曲》作品1211924年)がある。
 フォーレの晩年のスタイルはわかりにくい、とよくいわれる。一聴、人をひきつける魅力的な響きが、もはやないためだ。じつは中期の作品だって、たとえばその和声の動きは簡単に説明できるようなものではなく、けっしてわかりやすいわけではないのだが、響きの美しさにわたしたちは惑わされてしまうのだ。その絶え間なく変化する和声は、晩年になるにつれて、ますます流動的になっていく。そして、逆説的なことだが、「うた」を「うたって」いるはずの歌曲というジャンルから、たどっていけるような旋律線が希薄になっていくのだ。わたしたちに認識可能なメロディーは、まだ室内楽作品の方に残っている(ピアノ作品は、歌曲と室内楽の中間的な存在にみえる)。
 ヴァイオリンやチェロは「うたう」のだが、人は「うたわない」。どうするのか、「かたる」のである。晩年の歌曲の世界は、明快でくっきりした輪郭をもった昼の世界と、あやめもわかぬ漆黒の闇夜の世界のあいだの中間の世界を表現しようとする。どちらかはっきりとした世界ならば「うたう」ことも十分に可能であろう。しかし、この幽明境を異にした夢幻郷では、人は「うたえない」。「うたう」のは異界の存在、妖精であったり、幻影であったり、月の女神であったりする。が、人は基本的に「かたる」。だが、その「かたり」は、ときに高揚し、「うた」に近づくときもある。
 奈良ゆみは、そのような作品を「うたう」のに、まさにうってつけである。彼女の声は「うたって」いるのだろうか。《幻影》と《幻想の水平線》の2連作は、ふつうは男性歌手のレパートリーとなっている。男性歌手はやはりどうしても女性の声よりも響きの多い、ということは輝きにそのぶん欠けた声で演奏するものである。だが、奈良ゆみは、たとえばそのようなジェラール・スゼーよりも、さらにまた表面的な滑らかさとは無縁の声で表現する。輝きがないというのではない。それはちがった種類の光なのだ。
 私は、シャルル・パンゼラとディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウを比較して、前者の歌に響いている「声のきめ」について語ったロラン・バルトを思い出す。バルトにとって、「うた」の本質的表現とはこの「きめ」によって可能になるようなものだった。ゆみさんの「声のきめ」? もちろん、ある意味ではそのようにいうこともできるだろう。しかし、パンゼラとゆみさんではちがう。これはなんなのだろう。
 このディスクは一度さらっと聴いただけではわからない。付属の解説や詩の翻訳を読んでもわからない。私は研究室で楽譜を引っ張り出してピアノで弾いてみた。自分で実際にピアノでゆっくりと鳴らしてみるとわかる音の響き、とくに和声の動きというものがある。さきほど、「うた」にかんして、室内楽と歌曲を比較して論じたが、和声についても似たようなことがいえそうである。つまり、室内楽とくらべると歌曲における和声の変化はスピードがはやい。1小節あるいは半分、もっとはやいときは、一音ずつでも和声がめまぐるしく変わる。わたしたちの耳はこれについていけず、調性感は安定せず、これが理解をむずかしくしている。(ピアノ曲はここでもその中間にあるようだ。)
 しかし、和声の質は同時期のほかの作品と共通のものが多くあることが確認できたとおもう。すなわち、和声が頻繁に変化するとはいっても、なにか突飛な無関係なものが出てくるわけではなく、微妙な半音の変化、あるいは異名同音をつかったすばやい転調、旋法性と調性のあいだをいくような音使い、そして半音ごとあるいは一音ごとの(しばしば旋法性をともなった)ゼクヴェンツ。そして、これらが詩の世界と結びつく必然から導入されていて、こういう点は少しずつみていくしかない。
 じっさいに私は、ピアノで弾きながら自分の指と耳で確かめたあと、もういちど、こんどは楽譜を見ながらじっくりと聴きなおした。(しかし全音の楽譜はどうもミスプリが多いようだ。たしかにフォーレの頻繁かつ微妙な転調が校正をむずかしくしているのだろうが……。)

 《イヴの歌》はその発想のみなもとをメリザンドにもっている。事実関係としてフォーレは、1898年のメーテルリンク『ペレアスとメリザンド』ロンドン公演のために書いた付随音楽と同時に、劇中で英語で歌われる「メリザンドの歌」を作曲したのだが、この素材を1906年から書きはじめる《イヴの歌》に用いているのだ。ジャン=ミシェル・ネクトゥーは、当時フォーレは出版社と3年間に30曲を提供する契約を交わしていたので、未出版の過去の作品をいろいろと探して、英語の歌詞という理由でフランスでは未出版だった《メリザンドの歌》を再利用したのだ、とかなり散文的な説明をしている。しかしわたしたちはここにさまざまな暗号をみてとらざるをえない。どこの国から来たともわからない、かそけき存在の王女、幸薄いあえかな恋愛を生き、ひそやかに死んでいくメリザンド。この現実と非現実のあわいの、はかなく美しいヒロインの世界をフォーレはイメージとしてもっていたのではないだろうか。このまさに世紀末ベルギー象徴派的な世界。《イヴの歌》の作者、ベルギーの詩人、シャルル・ヴァン・レルベルグもそこにとっぷりと浸かっていた(メーテルリンクと彼は友人である)。さらには、ヴァン・レルベルグ自身が《ペレアス》ロンドン公演を観にきており、深い感銘をうけたということもあった。フォーレはこのときには、詩人も、その詩もしらなかったようだが、《イヴの歌》作曲時になにも考えなかったということはないだろう。
 いずれにせよ、この曲集がフォーレの歌曲のスタイルの大きな転換点になったことはまちがいない。晩年のスタイルといってもいい。ネクトゥーもそれは認めているが、アリアというよりもレチタティーヴォにちかい抑揚の少ない旋律線について、ドビュッシーの《ペレアス》の影響をほのめかしたりしているが、それもないことはないだろう(ラヴェルの《トリオ》に刺激されて、フォーレが彼自身の《トリオ》を書いたことをおもえば)。しかし詩のテクストの意味やリズムを大事にする作曲家のやり方としては、ほとんどこれ以外にないのもたしかである。
 詩と音楽の関係はじつに巧みにあつかわれていて、第1曲〈楽園〉からたとえば、イヴが目覚めてみずからの足元に世界が「美しい夢のように」ひろがっているのを見る場面は一種のクライマックスを作るのだが、歌がこの曲で一番の高音(といっても二点ホだが)をフォルテで歌ったあと、ピアノが天上のエデンの園のイヴの足元から徐々に下界に降りていくのである。そして神の「[下界に]行きなさい」という言葉につづくパッセージは、つねにピアノの下降音型をともなっている。そしてイヴが「うたう」のである。それが静謐な第2曲〈最初の言葉Prima verba〉につづく。このラテン語のタイトルのニュアンスはなんだろう。歌詞は聖書の物語なのだから教会ラテン語なのだろうけれども、音楽にはなんのいかめしさもない。まさにかそけき官能性に溢れた「喜びに満ちた沈黙」である。
 第3曲〈燃えるような赤い薔薇〉(翻訳には出てこないニュアンスだが「燃えるような赤い」と訳されている「ardent(e)」の語には、「燃える柴buisson ardent」のエコーを聞き取らないといけない。聖書の出エジプト記第3章で「主のみつかい」がモーゼに現れる場面である)は、出色の演奏だ。とくに18小節目から19小節目にあらわれるホ長調からハ長調への突然の転調は、歌詞が突然に「深い海よ」とテーマを変えることに由来するのだが、ゆみさんの声も「深く」なり、そしてモニックのピアノの低音がまさに深々とハ音を響かせる。この感動はすばらしい。そして最終音はまた最高音の二点ホで「神」にまで到達する。
 第5曲〈白い夜明けL’aube blanche〉はまさに中期の傑作《優しい歌》の第3曲〈白い月La lune blanche〉と好一対をなす(だいいちフォーレ自身この二つの歌曲集を対照的な対をなすものと考えていた)。同じ「白さ」が、一方は夜の月、一方は朝の太陽を表現する。最後の「愛amour」のゆみさんの声のふるえが伝えきれないものを伝える。次の〈生命ある水〉のピアノパートは、同時期のピアノのための《即興曲》第5番嬰へ短調作品102と、テンポは違うけれども、深い関連がある。もちろんこの16分音符の絶え間ない動きは、「活き活きしたvivant(e)」水を表現しているのだが、最後には海から空へと上昇していく。〈白薔薇の香りのうちに〉の最後も、ピアノの音型が沈黙の中で揺らぎながら、かそけく落ちていく花弁を表現していて、歌とピアノの巧妙な交響がみぶるいさせる。
 そして〈黄昏〉と〈おお、死よ〉の最後の2曲。この曲集で最初に書かれたのが〈黄昏〉らしいのだが、「メリザンド」のテーマがさまざまに変容され、幸福のさなかに涙する声、吐息をつく声が問いかけられ、それが〈時間(とき)〉の中で(未来の声、過去の声)忘れられた「楽園」を夢見るのだ。「終わりの始まり」を意識したフォーレの選択とはいえないだろうか。そして曲集は最後の〈おお死よ、星の亡骸よO mort, poussière d’étoiles〉につづく。しかしタイトルの「poussière」を「亡骸」と訳すのはまちがいで、ここにも聖書のエコーを聞き取らなければならない。主なる神は人間を「土の塵poussière de terre」で形つくったのであり(創世記第2章)、まさにイヴがいたエデンの園について語られる創世記第3章で人間は「塵にすぎないお前は塵にかえる」といわれているのだ。しかし、ヴァン・レルベルグは「土の塵」ではなく「星の塵」とすることで、死を重苦しい密度に満ちた暗黒ではなく、軽やかな黄金の壺から注がれる神々しい酒として提示する。

 《閉ざされた庭》もまた同じ詩人の詩による歌曲集だ。しかし今度は聖書の世界ではなく、むしろ古代ギリシャ・ローマの世界の「庭」、それもおそらく廃墟となった屋敷跡に、やぶれた枝折戸によって「囲われ」「閉ざされた」それなのだ(「廃園」の詩的ニュアンス。明治の象徴派、三木露風を思い出そう)。これらの詩が含まれている詩集の名前は『瞥見Entrevisions』といい、「閉ざされた庭」はその中の一部分の名前にすぎない。しかし、これを歌曲集のタイトルにもってきたところにフォーレの文学的感覚の鋭さがよくあらわれている。曲調は全体に明るい。直接に「春」をうたった曲が3曲もある(〈春の死者〉、〈私はあなたの心にそっととまるでしょう〉、〈薄明かりの中で〉)し、〈ニンフの神殿にて〉でも「ジャスミンの花」が歌われているのだからこれも季節は春だ。
 ジャンケレヴィッチが正しく指摘しているように、1曲目〈叶えられる願い〉(全音楽譜の訳は「聴きとどけ」で、どちらも隔靴掻痒である。「exaucement」とは願いの叶うこと、成就すること)は、アルベール・サマンの詩につけた名曲《夕暮》作品83の2をそのまま引用している。そこでは「夜の庭でなにかが死んでいくのが聞こえる」とやさしく恋人にかたりかけられていた。〈春の使者〉の中間部や〈薄明かりの中で〉の後半部分で聞こえてくるピアノ伴奏の空虚五度の連続は、まさにフォーレ節なので私はぞくぞくするのだが、フォーレ節といえば〈私はあなたの心にそっととまるでしょう〉の冒頭のメロディーのまさに旋法的な「節回し」、「Je me poserai sur ton coeur」のちょうど「心coeur」の部分に現れるピアノの変ニ音は、ここからフォーレ的な異教的なひそやかで伸びやかな世界が羽ばたく端緒なのだ。素晴らしい予感に満ちている。
 しかし絶唱はなんといっても〈砂の上の墓碑銘〉である。ピアノの導入部に現れる右手と左手で交互にたたかれる三度の連続、この寂しさは私には、アルノルド・シェーンベルクが自らの師グスタフ・マーラーの死を悼んで書いた《6つのピアノ小曲》作品19の6を思いおこさせる。(6Sehr langsamの音程は上から完全4度・長6度(右手)、完全4度・完全4度(左手)だけれども、同じ曲集の2Langsamではフォーレと同様に三度が支配的だ。)一般にこの曲集《閉ざされた庭》にもあまりメロディーに大きな音程の跳躍は使われていないのだが、この曲も二度や三度の音程で、たゆたっている旋律が徐々に高まっていって、ついにその楽想は「滅びることのないダイヤモンドimpérisables diamants」で一挙に五度上行する。しかしこのクライマックスにもフォーレはmfしか指示しない。ゆみさんのニュアンスは絶妙である。墓の前で人は声をあらげることはないのだ。そして終結部ははっきりとしたホ音の上のドリア旋法の魅力をたっぷりと聞かせる。「Les pierres éternelles(永遠の石)」の「éternelles」の部分、そして「l’image de son front(彼女のひたいの影)」の「image」の部分にある嬰ハ音がかなめなのだが、これは、はしなくもフォーレの《ペレアスとメリザンド》前奏曲と同じ雰囲気をもっている(基本的にはト長調なのだが、しばしばホ短調、それも嬰ハ音をともなっている)。また同じドリア旋法で恋人の死を悼む、モンポウの〈君の上には花だけが〉(《夢の戦い》第1曲)も思い出される。(訳詞には「front」の語が訳されていないが、詩においてはこれこそがかなめなのだ。芥川が自殺直前に語っている「月の光の中にあるような彼女の」(『或る阿呆の一生』)とはこのことなのだ。)

 《幻影》では、第2曲〈水に映る影〉に見られるフォーレの「抽象的なリアリズム」に注目したい。フォーレの音楽は、ネクトゥーがバシュラールとメシアン(なんという組み合わせ!)を援用しながらいみじくも指摘するように「連続性が支配」しているのだが、ここでは極めて稀な純粋な沈黙があらわれる。この沈黙の表現力の素晴らしさはどうだろう。全てが口をつぐんだ後にはじまる、「Si je glisse, les eaux feront un rond fluide...(私が滑ると、水はゆるやかな輪を作るだろう)」のところでピアノが基本の変ロ長調とは全く関係のないイ長調の分散和音で初めは八分音符の三連符、ついでスピードが弱まり八分音符になる。「un autre rond... (もうひとつの輪)」でそれがより短く繰り返され、ついで「un autre à peine... (もうひとつかすかに)」でより短く音もより少なく、そして沈黙。そして曲は終結部につづくのだが、そのつづき具合が奈良ゆみの「Quasi parlando(ほとんどかたるように)」で、しずかに「魔法の鏡」の沈黙がうたわれるのだ。表現のない表現とはこのことだろう。
 その「沈黙」は次の〈夜の庭〉でも支配的だ。この「夜の庭」は前作の「閉ざされた庭」であるといっても過言ではない。夜のしじまに聞こえてくるのは「円水盤」から一滴一滴としたたり落ちるかすかな水音しかない。ここで思い起こされるのはもちろん、あの《月の光》作品46の2で歌われた「大理石のあいだ」で「美しく静かな月の光」に哭かされる「ほっそりと背の高い噴水」である。しかしかつて月の光のもとで高らかに響いていた水音は、ここでは本当にかすかなものとなっている。そして最後の「踊り子」(全音版では「舞姫」)が、古代の踊りをクロタルのリズミカルな響きにあわせて踊る。しかしその踊りを踊らせているのは「ma flûte creuse(虚ろなフルート)」であり、それを吹いているのは……フォーレその人? ここには虚しい陽気さがある。作曲家はおのれの最後をみつめているのだろうか。最後の言葉は「Vaine danseuse(むなしい踊り子)」である。ゆみさんの歌い終わりは悲しみにみちている。

 最後の《幻想の水平線》は第一次世界大戦で若くして戦死した詩人の詩に曲をつけたもの。この最後の曲集では、逆説的にフォーレはある種の若さを取り戻しているようだ。しかしその「若さ」は老境に入ったものの後悔と苦渋にみちた、しかし同時に諦念とともにある種の甘美さもともなった、想起に見える。つまり、ここにあるのは、かつての航海の思い出、若かったころの冒険にはやる躍動するこころ(はじめの2曲)、置き去った苦しみ(〈私は船に乗った〉)、疲れ乱れた心への癒しのもとめ(〈月の神〉)、そして大いなる悔恨(〈船たちよ、〉)である。奈良ゆみの抑制された表現は、モニックの支える「船」に乗って、最後の一語「満たされぬ大いなる出発」にまでわたしたちを引っ張っていく。詩人にとって、またフォーレにとって、この「大いなる出発」とはなんだったのだろうか。そして、わたしたちにとっても……。



2018年2月13日火曜日

アルベニスの歌曲その2

前回に「どんどんアップする」などと豪語してしまいましたが、今日ひさしぶりにアップしました。ピアノの調律もしてもらい、なかなかよい音です。
曲は、アルベニスの晩年の作、フォーレに捧げられた《4つの歌曲 Quatre mélodies》の第1曲で In Sickness and Health リンクは以下の通り。

https://youtu.be/U0x2pFYRa5Y