2012年6月29日金曜日

ネクトゥー氏

ネクトゥー氏が、ドビュッシー展その他で来日するので、その機会に夫婦で京都を見たい、と、ついてはお目にかかりたい、というので、7月に約束していたが、どうも奥さんの具合が良くないらしい。7月はキャンセルで、10月に撤収に来る時にしましょう、と。

2012年6月27日水曜日

Q2 Pelicans

昨日は、神戸 Cap Q2 に下田さんのQ2 Pelicansを聴きに。新作は「おまえの耳は Your Ears are ?」というので、曲はすべて下田さん=シモダノブヒサ(ヴォーカル、ギター)、そこに丁友美子さん(ヴォーカル、クラほか)、宮本玲さん(ヴォーカル、ヴァイオリン)、岩本象一さん(パーカッション)が加わったグループ。2月に結成されたらしい。丁友・宮本は同女の卒業生で、今日大学でたまたま宮本さんに会って、どうやって一緒にやるようになったの?と訊いたら、大学の喫煙室で一緒になって、との答え。この不良め、と言っておきました。下田さんの曲はすべて、とてもいわゆる「癒し系」で、心地よい。村上君も聴きに来た。アイドル系の声っすねえ、と言っていた。ふむふむ、さすが西城秀樹の先輩だけある。会場にあったハヤシライスが、ヒデキカンゲキのカレーでなかったのが惜しい、と彼の一言。

2012年6月25日月曜日

芸術

しかし、人生(生命)は芸術であるか(ケージはそう言う)。でも、そのままではないような気がする。それはさておき、しかしまた、老子の言っている「無用の用」がそのままあてはまるので面白い。すなわち、芸術は何の役にも立たない。でもだからこそ、どんな役にも立つ。最も必要なものである。
音楽はどこにでもある。人生のようなものであり、それが時に噴出すると、実際の音楽現象となる。それは「意志」であり、「ディオニソス」であり、「大文字のMusic」であり、録音テープの背後に流れる雑音であり、………〈生命〉である………か?

うむむ

私の大変な失策にも拘らず、木村敏先生は丁寧な返事をメールでくださったのであった。思索を深める必要あり。Là il y a un trou, le voilà oh là là....

2012年6月24日日曜日

Régnier

Henri de Régnier, La vie vénitienne, Mercure de France, 1963 もちょっと読んでいる。これも過日、田村書店の二階に登った時に、たまたま足にこつんとぶつかって出て来たもの。偶然の出会いである。ちなみにたったの500円。しかし、レニエのヴェネチアと言えば、窪田般彌訳にお世話になったのが懐かしい。イタリアの雰囲気の活写。まさしく、である。

村上君帰国祝

昨日は村上君の帰国祝い。大阪駅ビル。パリのドビュッシー展のカタログやらCDやら本やらを買って来てくれた。ありがたい。CDにブリュンヒルドさんが、たくさん付箋をつけて言葉を書き入れ、まるで現代アートのオブジェになっていました(開けて見ちゃったので、ごめんなさいの意味)。秋のブリュンヒルドさん招聘のプロジェに向けていろいろと相談。今日は、家内の横浜の叔父さんが学会で京都に来ているというので、三宮の神仙閣でその娘さんの家族(夙川)とこちらの家族とお食事。

2012年6月23日土曜日

広報課

大学の広報課というのはえらいところです。すぐに見つけてくれます。


2012年6月22日金曜日

ボエティウス

神戸線の事故は大したことはなくて、無事に大阪に寄り、阪神地下であなごづくし、タワーレコードでいろいろ、ササヤ書店でいろいろ購入し、大学へ行った。しかし、講読の授業で、ボエティウスの言う「ムジカ・ムンダナ/ムジカ・フマナ/ムジカ・インストルメンタリス」の分類が、その理論性のみで実際と違う点を、グロケイオなどが批判した、みたいな授業をしたのだが、もしかしたら「ムジカ・ムンダナ」も「ムジカ・フマナ」も「聴こえていた」かも知れない(そういう人がいた?)、と思うようになった。一連の現実の背後にある音楽の話である。色聴だって、その能力のある者とない者があるわけだし。

住吉

住吉の南本山中学校に教育実習見回り。住吉駅から大学へ向かおうと思ったら、JRが止まっている!またか!

2012年6月21日木曜日

木村敏『臨床哲学講義』

木村敏『臨床哲学講義』(創元社)読了。学校への行き帰りに。やはりゾーエーとしての生命、山括弧付きの〈生命〉、非人称の、誰のものでもない、あるいはみなのものであるいのちが存在する、というところ。これは、ぼくの言う「音楽的なもの」(グールドのバッハ、そしてそれを指摘した大里さん)、あるいはケージの言う「止めることのできない、大文字のMで始まる〈音楽〉」と同じものか。そして、能美さんの言う「背後にあるノイズ」なのか?木村敏も、そこにニーチェの「ディオニソス」との類似を語っている。ぼくは、能美さんに、ショーペンハウアー→ニーチェ→バタイユ→デュシャン→ケージ(そして→椎名 - グールドも介して)(そして能美さんの指摘によれば、テープ音楽の背後に流れるノイズ - これは面白い!)という流れを示唆したのだったが。結局のところ、生命と音楽は一緒か、という問題になるのか?ぼくとしては、肯定で答えたい気持ちに駆られるのだが……。

2012年6月20日水曜日

Adolphe Adam

先日の田村書店で見つくろった仏語図書が大学に届いていた。ヴァンサン・イスパのシャンソン集とかイヴェット・ギルベールの自伝とか。中の一冊 Adolphe Adam, Souvenirs d'un musicien,  Paris, Calman Lévy, 1884 を持って教授会に(書類の陰で読む)。アドルフ・アダンの回想録のようなもので、まず最初に自伝 Notes biographiques がある。そこで彼と Eugène Sue が同級生で大の仲良し(一緒に Cochons d'Inde を飼っていたという)だったことを発見。そして帰宅すると、木村敏先生から新著が。いのちの話をしているらしい(まだちゃんと読んでない)。ちょうど、最近、録音エンジニアの能美亮士さんと録音であらわれる美学的問題についてメールのやりとりをしていて、音の背後みたいな話をしていたのだが、それとぼくはショーペンハウアーの「意志」が何か関係ありそう、と思ったりするのだけれども、結局のところ、「音楽的なもの」ひいては「芸術的なもの」一般が現実世界の背後にあるのではないか、とも思ったりしていたちょうどそこに、木村敏先生の「いのち」という言葉があって、これは通底していると直観するのでした。

2012年6月17日日曜日

帰芦

というわけで、先ほど帰芦。東京一日目は、日仏でゆみさんとリハの後、吉祥寺で海老坂先生と待ち合わせて、サウンドカフェへ。以前にゆみさんが行って気に入って、海老坂先生とぼくも連れて行くということになった。サイトを見つけました。これです。
http://www.dzumi.jp/link.html
ここは、以前に西武に勤めていた泉さんがなさっているところ。そんなこと行くまで気付かなくて、エレベータを降りて、ゆみさんが「こちらが椎名さん」と紹介したとたん、泉さんは「よく覚えています、ガタリの通訳をお願いしました」と。こちらは全く忘れていた。それからは、いろいろな音楽を聴かせてもらい、話を聞かせてもらった。今福龍太さんにも初めて会った。(そこにたまたま院生といたのである。)
翌日は、上野学園大学図書館に松平頼則の自筆原稿を調べに。上野駅から歩くのだが、そこで巨大パンダに遭遇。
また今噂のスカイツリーもよく見えた(図書館からも)。帰りがけに、神保町に寄り、もちろん古賀には行ったが、今回は田村書店の二階で音楽関係の面白いものを多数発見。ひいきにしよう。
そして、本番の日。とても盛会で、120人定員に140人入れたと言う。前回と同じく、アルテスの木村さんが本とCDをロビーで売ってくれた。いろいろな人が聴きに来てくれて、本当にありがたいことでした。なかなか、台詞とか歌(?)はうまくいかなかったが(ゆみさんの「特訓」も空しく?)、まあまあかな?これからは、音楽学者+ピアニスト+役者+歌手という兼業?(笑)
東京の実家は、梅雨空の下での花がいろいろ。

弟一家と東大和のイタリアンで食事。
往復の新幹線で、フアン・ラモン・ヒメーネス『プラテーロとわたし』(長南実訳、岩波文庫)読了。スペインの田舎の匂い、いいね。

2012年6月12日火曜日

フランシス・ジャム

『フランシス・ジャム詩集』(手塚伸一訳、岩波文庫)読了。ところどころ素晴らしい、が、やはり詩の翻訳だから難しいのだか、もうひとつしっくりこないところもあり。しかし、例えばヴェルレーヌの詩も「ちまたに雨のふるごとく」とかすると、どうか?これはこれで、いいかな、七五調だから(?)。すると自由詩の訳など、ますます難しいことになるね。

エンジェルズ・イヤリング

エンジェルズ・イヤリング、久しぶりに咲き出しました。どうも枝振りが難しい……。

2012年6月11日月曜日

ワルツは

ワルツは難しい!今回のサティには、二曲もあるぞ。

低音デュオ

昨日は京都芸術センターで低音デュオ(松平敬・橋本晋哉)コンサート。曲目は、グレゴリオ聖歌《デ・プロフンディス》、鈴木治行《沼地の水》、パラレリウス《花咲き乱れ》、檜垣智也《第4オルドル》、休憩後は《セイキロスの墓碑銘》、田中吉史《科学論文の形式によるデュオ》、湯浅譲二《天気予報所見》、山根明季子《水玉コレクションno.12》でした。かくも多彩な音響、多様な才能。一番笑ったのはパラレリウス。鈴木さんのは、「語りもの」の延長と言うことで、楽しませてくれた。檜垣作品はこれからライブ・エレクトロニクスでの彼のさまざまな可能性を垣間見せてくれた。田中論文は、バランスが悪いのか言葉がよく聞き取れず、助手の具合がよくわからなかったが、面白い発想ではある(アーティキュレーション)。湯浅作品は彼の豊かなシアターピース的才能を知ることができた。山根作品、興味なしとはせず(音の間の関係性)。しかし、先日の篠原さんも来られていて、おやと思う。湯浅氏もおられ、なんというか、80代はまだまだ現役ですな。すごい!この一連のシリーズ企画の川崎さんも偉い!今後もこの調子で頑張って欲しいと思う。

2012年6月8日金曜日

第一回会合

ゆうべは、大阪駅ビル地下某所において、下田さん、Tazz さんと第一回会合。この秋のリュック・フェラーリ、ヘールシュピール上演会の打ち合わせ。なかなか素晴らしい。やはり、みなさんのお力のおかげでいろいろなことが可能になるのですね。ありがたいことです。さっそく情報はみなで共有しました。ブリュンヒルドさんにも。

2012年6月5日火曜日

昨日は

昨日は、朝に垂水の上の方、桃山台中学というところに教育実習の巡回に行き、昼に元町ウエシマコーヒーでランチをした後、スペイン語。その後、あゆみを保育園に迎えに行った後、駅までいづみを迎えに(いづはまたまた寝過ごしてしまった!)。夕食の後、南森町モーツァルトサロンでゆみさんと練習。彼女は昨日は朝の11時から、ずっとレッスンで、7人を見たと!帰宅は真夜中。その間も共同通信加藤さんから原稿についての連絡がずっと。少々、疲労……。

2012年6月3日日曜日

また原稿

吉田秀和逝去の報を知った日には、オープンキャンパス帰りがけに共同通信から電話インタビューを受けたが、その後原稿も書いてくれということで、先ほど急いで書き上げて送った。もっと時間があれば、もっといいものが書けるのだが……、しかたない。

2012年6月1日金曜日

篠原眞ほか

昨日は「篠原眞の電子音楽上演会」、一昨日は同じ会場で「電子音楽作品の上演についての実践的考察 - 黛敏郎作品のマスタリングを例として」(京都芸術センター、川崎弘二企画)。能美亮士さんによるマスタリングの話は、電子音楽作品においても、背後にある「雰囲気」的音響が大切だというのが興味深かった。これってケージの言う「止めることのない大文字のMで始まる音楽」(不肖私めの言う「音楽的なもの」)ではないだろうか。そして、篠原眞の電子音楽。リュック・フェラーリに習ったというが、篠原氏(80過ぎて矍鑠!)の言では「それとわかる現実音を用いたのは私が最初」。でも Hétérozygote は、彼の Visions I より前ではないかな、と思ったり。そんな疑問、そしてフェラーリとの比較などは、帰りの電車の中で読んだ鈴木治行の論文(会場で配布された川崎編『篠原眞の電子音楽』所収)できちんと解明されていた。鈴木さんの触れてないことを付け加えると、フェラーリ作品のメッセージ性あるいは「やむにやまれぬ」性とでも言うか。篠原作品は、もっと静謐であり、ちょっと俳句とか連歌の、あるいは「数寄」というような言葉を思い出した。手法は徹底的に西洋的だが、結果が日本的?