2010年3月29日月曜日

雪の京都

桜が咲いたのに、今日は雪!アナリーズの授業は、Luciano Berio の O king と Peter Eötvös の IMA

2010年3月27日土曜日

ドタキャン

今日のゴーサン氏の公開講座は、彼の頼みでぼくが通訳やる筈がドタキャン。もともと別人がやる予定だったのを彼の一存でぼくに変更したので、日仏学院の事務が「契約」の変更を認めなかったせいらしい。Ca m'est égal mais ...  笑止千万。

2010年3月26日金曜日

琵琶湖疏水の桜

ゴーサン氏の授業は九条山会館なので行き掛けに撮影。三分、四分咲きといったところかな。今日はグリゼー Gérard Grisey, Vortex temporum の分析。スペクトラルの分析は初めてだ。

2010年3月24日水曜日

Gaussin2

今日の授業は、Ligeti の Kammerkonzert の分析でした。なかなか面白い。

2010年3月23日火曜日

Allain Gaussin

Allain Gaussin 氏の作曲マスタークラスの通訳。京都フランス音楽アカデミーとかいうのである。セヴラック伝執筆で忙しいのだが、彼のたっての頼みなので断り切れず。昨日は、メシアンの Messe de la pentecôte の分析。

2010年3月18日木曜日

御所の桜

卒業式なので、今出川に。御所をのぞくと、すでに枝垂れ桜がきれいに咲いていました。

2010年3月16日火曜日

バスクの音楽2

シャルル・ボルドの採集・編曲・和声付けという《バスクの民謡》の楽譜を手に入れた。しかし、その和声付けの「異常な」こと!なぜ??

2010年3月13日土曜日

Mattes

Les Mattes というのは、「マッテス」あるいは「マテス」という発音なのかもしれない。ただ、その場合はアクサンがついて Mattès という綴りの方が現在のフランス語では一般的だと思う。彼らの本当の名前は、Albert Manyach-Mattes (chef de la Cobla, 1er tanor), Joseph Cortie (2e tanor), Vincent Cortie (1er prime), Louis Cortie (2e prime) であるから、マットよりもコルティの方が数は多い。括弧の中はそれぞれの担当の楽器。カタロニアのオーボエである。カントルーブによれば、タノールの長さは87センチ、プリームは60センチである。その他に、フラヴィオルという笛と、タンブリヌーという太鼓が加わる。

2010年3月11日木曜日

むぢから

大倉さんからのメールで、先日(牡蠣パーティーの時)の話の中の「無力」(「〜力」というのは流行っているから)というのは面白い、本を書かないか、と言って来た。ぼくの返信。「むぢから」とは、「ちから」が無いのです。書いてしまうと「書く力」があることになってしまう。よって、「むぢから」という本はありません(あり得ません)(笑)。
しかし、同メールで、彼の作品が展示された去年のシカゴ美術館の展覧会は、入場者数ベストスリーで、今年秋にはサンフランシスコでも催されるそうだ。すごい!

Danse de chevalet

深尾さんというピアニストの人からの質問で、セヴラック《風車の心》の中の Danse de chevalet を何と訳すかという。彼女はギヨー先生にも問い合わせをしたらしく、彼からの返事も同封してあった。それを読んだり、いろいろ調べてみると、馬(の扮装をした人)と蹄鉄打ちの人との間のコミカルな動作をまじえた、南仏地方の民族舞踊の一種のようである。英語では Chevalet Dance と言っているようだし、無理に日本語に翻訳しても意味がないようだ、と返事をしておいた。
しかし、このことが頭にあったせいか、夕べの夢には、軍人である主人公の男性の或る少女への哀しくも叶わない愛(!)が現れ、「哀しさの中の美しさ」こそセヴラック音楽なのでは、と思ったりもしたのでありました。(まったく論理的ではありません。Comme disait, bien sûr, M. le professeur Freud...  excusez du peu ! )

2010年3月8日月曜日

バスクの音楽

バスクの音楽 Agur Jaunak (musiques basques)というCDの解説に Le Zortziko というダンスのリズムが説明されている。バスク語の zortzi (8の意味)から来ているらしい。このリズムはまさしくラヴェルの《ピアノ三重奏曲》第1楽章のそれだ。8分の8という異常な拍子は何かと思っていたが、これでよく理解できる。そして、セヴラック《夾竹桃の下で》のシャルル・ボルドの名前が挙げられているフレーズ。この5拍子もこれでわかる。というのは、もともと8拍子なのだが、19世紀以来、五線譜には5拍子で記譜する習わしだからだ。しかし、1拍目が他のものより短いために正確に記譜するのは容易でないという。

2010年3月5日金曜日

ミモザ3

セヴラックの手紙に「マットたち les Mattes」とあるのは、彼のオペラ《エリオガバル》中でカタロニア地方の民俗楽器(というより楽団)コブラを演奏したマット一家の人々のこと。オペラ初演の前に、彼らが前列に座り、後ろの左側にセヴラック、右側に指揮者のアッセルマンが立っている写真が残っている。

ミモザ2

これです。山手幹線芦屋川トンネルのすぐそば。

ミモザ

芦屋の町を歩くとミモザが咲いているのに気づいた。セヴラックの友人で詩人の Albert Bausil は、セレの住人でもあり、「ミモザの花のもとでのサルダーヌ」という追悼文を書いている。そこに引用されているセヴラックの手紙には「マットたちがサルダーヌを弾き、ミモザが花盛りだから、遊びにおいで」という表現がある。セレの町はミモザが多かったのだろうか?ぼくは、ミモザ卵も好きだけれどね。

d'Ortigue その2

Joseph d'Ortigue は南仏カヴァイヨン生まれで、やはり同地に生まれた Castil-Blaze の従兄弟だということだ。後者はパリでオペラ関連の音楽評論や出版などで活躍した印象が強いが、実は南仏民謡なども出版していて、例のフェリブリージュのメンバーだったらしい。また前者は、フランスでのグレゴリオ聖歌復興の先駆けとなり、ニーデルメイエールとも一緒に仕事をしたと言う。

Joseph d'Ortigue

Vincent d'Indy が思想的に影響を受けた人物として、Lamennais 師(Abbé Félicité de Lamennais)というカトリックの僧侶の名前が挙がっている。そして、このラムネ師の音楽分野での協力者が、Joseph d'Ortigue らしいのだが、彼の Le Balcon de l'opéra という本は、数年前の静岡での国際音楽学会の時にたまたま見つけて買ったものだった。その時は単に、19世紀の音楽時評集なのだろうくらいにしか思わず、そのまま書棚で眠っているのだが、実は自由主義的神学(ラムネ師はその思想のおかげで破門されたと言う)に基づく音楽論らしい。そしてまた、このラムネ師とは安吾の「ラムネ氏」その人のことでもある!

2010年3月1日月曜日

Lettre de M. Pierre Guillot

ギヨー先生から返信。セヴラックが存命中、彼の作品はインドネシアで多く演奏されていた、と!!全然知らなかった。そして、彼もまたセヴラックについて書物を完成させたと言う。非常に楽しみである。